1997/12/5号

連続金融破綻で、あわや「平成金融恐慌」に
突然の暴風雨。 十年前のブラックマンデーを思い起こすかのように、 十月末に香港を発信源に全世界的な株安となった。 これがまるで日本の金融・株式市場への先触れを知らせる突風だったかのように、休日明けの十一月四日の三洋証券会社更正法申請に始まり、 十七日には北海道拓殖銀行の事業譲渡。その一週間後には 山一証券の自主廃業。二日後に徳陽シティ銀行が 七十七銀行や仙台銀行を中心にした事業譲渡へ等々、 いま空前の「金融恐慌」の真っ只中にある。 こうした中で二十六日には地銀の紀陽銀行や 足利銀行が、最近の株価や雑誌などの報道により、 不安になった預金者が殺到し、取り付け騒ぎとなる事態を 引き起こした。 大蔵省、日銀があわててこれら観測を否定する文書を発表したほか、 月末の二十八日には短期コール市場へ日銀が三兆八千億円を 供給するという非常措置を取る事態となった。日本の金融市場は海外のホットマネーを前になす術もなかった。

わかば信金支援固まる
11月27日開催の東信協理事会で、わかば信金への支援が 正式に決まった。相援適用の申し出が4月から東信協に出ていたものの、 2割の地区負担分について都内信金の反発が予想されるため、 川野会長一人で板挟みの苦悩を抱え込み、長らく事態が硬直化していた。 しかし、中小信金経営改善協議会代表幹事・砂村理事長(協和・理事長) らがこの問題を取り上げたところ、多くの中小金庫から賛同を得られ、 川野会長もこれに意を強くして正式に東信協理事会に諮り、決定したもの。



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