11月25日号
 まことにあっけないむしろ“劇的”な逝去であった。さる十一月二十日、脳梗塞のため急逝した東京の中央信金・市川理事長のことである。亡くなる八日前に自金庫の理事長執務室で職員と話し中に倒れ、そのまま病院へ。一週間後には帰らぬ人に。まさに殉職である。
◇中央信金は多額の不良債権を抱え、明年一月四日には隣接の東武信金を軸に、協和、大東信金らと共に大同合併。明年一月、“東京東信金”として新発足のため、その作業も最終段階に入っていた矢先の死去であった。
◇同信金は大正十五年六月、本所区建築復興信組として設立されたのがルーツである。関東大震災のあと、復興のため地元有志達で、それこそ相互扶助の精神で創立され、その後、本所区商工信組、墨田商工信組、中央信組などと名称は変更されたが、終始一貫、下町の市民のために信金精神を堅持してきた。かっては、小原鐵五郎会長の前の全信協会長を生み出した名門金庫でもある。
◇草創期・混乱期の信金業界の意思統一のため全国を飛び回って、隅々の金庫理事長達と親しく話し合い、業界の協調と連帯意識を昂めて小原会長に引き継ぐための業界内の地ならしに、獅子奮迅の努力をしたのは、知る人ぞ知る今は亡き“小野孝行理事長”その人であった。
◇杉の子会を最初につくり、全国杉の子会連合会を創立して、その初代会長に就任したのも小野孝行氏であった。その杉の子会連合会大会も、さる十月十七日に奈良で開かれた第三十五回大会を機に消滅する方向という。
◇創業七十二年の伝統ある中央信金は、同じ墨田区で向島に本店のある“戦後派信金”の“東武信金”に合併・吸収の宿命となった。
◇取引者・総代そして非常勤理事、職員らの強力なつきあげとその狭間にあって、苦渋の選択をした市川理事長は、新金庫の発足をみることなく、他界された。  

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